1 それって法律がおかしくないですか?
弁護士の仕事をさせて頂いておりますと、クライアント様の相談のなかにも、法律では希望した解決ができないタイプの相談事に遭遇することが頻繁にあります。
そのような相談を受けて、法律では、どのような結論になるのか、仮に裁判をしたとしても認められる可能性が低いことを伝えると
「それって、法律がおかしくないですか?」
と、食らいつくように、尋ねられることがあります。
あります・・・と言うよりも、むしろ、全国約4万人の弁護士で、一度もこのように食らいつかれて尋ねられたことがない、という弁護士はいないのではないでしょうか。
わたしの感覚だと、法律では希望した解決ができないとの説明に対して、
「ありがとうございます。法律ではそうなっているんですね」
とスムーズな理解をする方は5人に1人くらいです。
5人中4人は、なんとなく不満が残るという感じです。
その4人のうち、1人は
「いやいや、先生が間違っているんじゃないですか。本当に法律ってそうなっているんですか。ちょっと信じられないなあ」
というレベルでの疑問を感じる方もいます。
2 法律の役割
ところで、法律の役割とはいったい何でしょうか。
法律がないような無法地帯だと、社会生活が円滑に送ることができません。
社会生活や経済活動を円滑に送るために、一定のルールを定めたのが法律です。
たとえば、日本では車は左側を走行するというのが法律です。
別に左側を走るのが絶対的に正義というわけではないのですし、右側でも良いのですが、とにかくどっちかに決めておかないと、安全に車を走行させることはできません。
高速道路で、左側走行と右側走行の車が行き交ったら、たくさんの死亡事故が生じることが明らかです。
そこで、交通社会を円滑に送るために一定のルールを定めたわけです。
3 法律改正
高速道路といえば、制限速度が100キロです(一部、東北などで120キロのところもあるそうですが)。
1960年代ぐらいから、自動車が増えてきて、高速道路なども整備されて制限速度は100キロと法律で決められておりますが、この当時の車は、エアバッグや安全装置など全くありません。
現在の車とは性能がまったく違うので、100キロが本当に合理的なのか、という疑問がありますが、現在、福岡で走れる高速道路の制限速度は100キロのままです。
現在改正すべきではないか、という議論があがっています。
ただ、100キロと定めたときは、合理的な理由があったのだろうと思います。
どうせ、そのうち技術革新がされるから、現在は技術が追いついていなくても制限速度は100キロくらいにしておいたほうが将来のために良い、ここ数年は100キロで飛ばすと、交通事故で死者がたくさん出るが、やむを得ない。なんて理由で100キロにしたとは思えません。
その当時は合理的だったのだと思います。
民法では、遅延損害金を長い間、5%と決めておりました。
ところが、現在の銀行の金利などと比べると明らかに高金利です。
そこで2020年に、一応3%に引き下げられました。
それでも高金利です。
2020年の民法改正の際には、自筆遺言について、押印は不要ではないか、という議論がありました。
100円ショップでも認印が手に入るような時代です。
すべての文章を自筆した上に、さらに押印が必要なのか疑問ではありますが、ひとまず2020年では押印は引き続き必要とされました。
将来は変更されるかもしれません。
4 すべての法律は現代人にとって時代遅れである
誤解を恐れずに申し上げれば、すべての法律は、現代人にとって、ほんの少しだけ時代遅れなのです。
中には、ほんの少しだけ時代遅れどころか、合理的理由を失いつつある規定もたくさんあります。
法律が、絶対的正義や普遍的倫理観や完璧な人間のあるべき姿を規定しているということはありません。
もちろん、できるだけ、理想の姿を反映させたいと、常に立法府は考えるべきです。
ただ、その理想の姿、すなわち、
なにが絶対的正義か、なにが普遍的倫理なのか、完璧な人間のあるべき姿をどのように捉えるかは極めて難しく、
しょうがないから、国民の投票によって政治家から議員を選出して、そのメンバーで構成される立法府で、国民の意見を反映しようというのが現代の先進国社会のスタンダードです。
5 日本は良い国?
わたしは最近、
「それって、法律がおかしくないですか?」
という疑問をお持ちの方にお会いすると、日本は結構良い国なのかもしれないな、と思うようになりました。
かなり多くの方々の中で、人間としてあるべき姿が反映されているものが法律だ、との信頼があるように思います。
日本では、政治家に対する信頼感はかなり低いのに、なぜか、法律や司法に対する信頼がめちゃくちゃ厚いです。
法律が不合理な帰結になるはずがない、裁判所が間違った判断をするはずがない、とお考えの方はかなり多いです。
法律は立法府が作っているという事実については、あまり気にせず、日本の法律が、理想とずれた状態であるはずがない、との信頼が厚いのです。
法律が不合理な帰結になるはずがない、裁判所が間違った判断をするはずがない、とお考えの方は、
わりと会社経営をするような経営者の中にもいらっしゃいます。
不合理な目にあったとしても、警察や法律や裁判所が助けてくれる、というような謎の安心感をお持ちの方が多いです。
そのため、事前に法的な自己防衛をしたり、契約を有利に進めるためにアメリカのように、なんでも弁護士に相談をするという文化がないように感じます。
こういうことも影響しているのか、20年ほど前、司法改革という名称で、日本の弁護士の数を増やしてみたものの、
実際に国民の方が、弁護士が増えて喜んでいらっしゃるのか極めて疑問ではあります。
極端な話になりますが、裁判をする、という行為自体が人の道に外れた行為であるとさえ思っている人もいます。
裁判をするなんて許せない、人の道が分かっていない、というわけです。
さらには、弁護士に相談するという行為自体についても、
人と人が腹をわって話し合うべきなのに、勝手に弁護士に相談に行きやがって許せない、というレベルの方さえいます。
裁判所はあくまで法的な解決をする場所に過ぎないはずですが、人の道が分からない人が裁判所で判決を下されるのだ、と考えている人も一定数いるのです。
ここまで、法律や司法や裁判所が、絶対的な正義だと信頼されているのは、ある意味すごいなと感じざるを得ません。
法律は、社会生活や経済活動を円滑に送るために、一定のルールを定めたものです。
もちろん、できるだけ、理想の姿を反映させたいと立法府の努力の結果ではあるものの、すべての法律は、現代人にとって、ほんの少しだけ時代遅れの可能性もあります。
すくなくとも、人の道が分からない人に対して正義の判決を下すことができるようになっているものだという信頼に応えられるほど立派なものではない可能性があります。
しかし、多くの日本人が、理想の社会や理想の人間の在り方と、自分に適用される法律は、イコールである、と考えているように感じられます。
6 独自の判断をせずに専門家にご相談を
もし、法律がすべて、あなたの理想とする社会と全く同じルールになっているのであれば、誰にも相談する必要はありません。
あなたの理想を裁判所で語れば、その通りの結果になるはずです。
しかし、弁護士に依頼せず、御本人で裁判をする本人訴訟は、かなりの割合で望んだ結果になっていないと思われます。
あなたの理想とは違ったルールがある場合もあるからです。
会社経営者は、日頃から顧問弁護士に気軽に相談をするようにすべきでしょうし、
一般の方でも、「これは法律問題かもしれない」と感じるようなことがあれば、すぐに、弁護士に相談すべきです。
少なくとも福岡の弁護士では、法律問題ではないご相談を無理やり着手してお金にしようとする悪徳な弁護士は少ないように感じております。
むしろ、法律問題ではないご相談はスムーズにお断りしたいという、ある意味、当たり前で誠実なタイプの先生方のほうが多いと思いますので、
相談したからといって大金を取られてしまうなんてことは、ほとんどないように思います。
ひとまず、電話などで相談してみて、法律問題ならば弁護士に依頼すべきですし、
法律問題ではなければ、それはそれで一つ悩みが減ったということで前向きに考えていただけたらよろしいかと思います。
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